『男はつらいよ』など様々な作品に出演されていましたよね。
俳優としてのキャリアを積んでいた赤塚真人さんですが、実は私生活ではシングルファザーとして二人の子供を育てていました。
今回の内容
- 赤塚真人のプロフィール
- 赤塚真人の嫁(妻)は誰?
- 妻が家を出た理由は?
- 赤塚真人の子供は2人!介護士として勤務!
- 子供が暴走族に入る
赤塚真人のプロフィール
赤塚真人さん死去 幅広い役で活躍#Yahooニュースhttps://t.co/8rhgfv4J07
— こっこ (@yukie97792755) July 5, 2024
項目 | 詳細 |
---|---|
名前 | 赤塚 真人(あかつか まこと) |
本名 | 同じ |
誕生日 | 1951年3月19日 |
出身地 | 茨城県日立市 |
血液型 | O型 |
職業 | 俳優 |
デビュー | 1967年 東宝映画『でっかい太陽』 |
代表作 | 『男はつらいよ』、『幸福の黄色いハンカチ』 |
没年 | 2024年7月4日 |
赤塚真人さんは、1951年3月19日に茨城県日立市で生まれました。
1967年に東宝映画『でっかい太陽』で本格的にデビュー。
その後、松竹映画『同胞』で演技が注目され話題になりました。
代表作には『男はつらいよ』や『幸福の黄色いハンカチ』です。
2024年7月4日、73歳で食道がんのため亡くなりました。
SNSでは悲しみの声があがっています。
俳優の赤塚真人さんが亡くなりました。
— 藤ちゃんのホッコリ通信!! (@Q8aDB5OSMF9P5QV) July 5, 2024
73歳でした。
わたしにとっての赤塚さんは、仮面ライダーBLACKRXの佐原の叔父さんのイメージしかありません。
ただ、ストーリー上、佐原夫妻は、クライシスの猛攻により避難する途中で、ジャークミドラに。
いい役者さんでした。
冥福を祈ります。 pic.twitter.com/hbmX5VrDnS
我が座長
— あちゃも@群馬 (@acyamo1979) July 5, 2024
赤塚真人さんが昨日お空へ
何もできない私を
個性だと言ってくれて
何年も同じ舞台に立たせてくれて
たくさんの学びの場を
ありがとうございます
結婚式では面白いムービーくれて
離婚した時は何やってんだって
笑ってくれて
えらい!頑張れよって言ってくれて
ありがとうございます
赤塚真人さんが昨日に逝去されたとは???? https://t.co/QkGahLHlaM
— ドラゴンバスター (@yuoyuo5050) July 5, 2024
赤塚真人の嫁(妻)は誰?
赤塚真人さんの嫁(妻)は6歳年下ということは判明していますが、それ以外の詳しいことはわかっていません。
実はその嫁(妻)はお子さんんたちがまだ幼い時期に「買い物に行く」と言い残して家を出たまま戻ってこなかったそうです。
私生活では、男女2人の子供に恵まれたが、子供が幼い時に離婚。妻は出て行き、残された子供2人を男手ひとつで育て上げた。本人は「子供が幼い時に、妻は買い物に出かけて帰らないまま15年が過ぎ去った」と笑いのネタにして『ライオンのごきげんよう』で披露
wiki
家を出ていったのは娘さんが小学3年生、息子さんが5歳の時だったそうです。
幼い子供二人を残して出ていくなんてよほどの事情があったのではないでしょうか。
子どもを残していくなんて…何があったの?
次の項目をご覧ください
妻が家を出た理由は?
当時、赤塚真人さんは売れっ子俳優として忙しい日々を送っていました。
そのため、家庭を顧みる余裕がなかったようです。
そんな中、妻が子供たちを置いて去ってしまったと言います。
おそらく、妻は一人で子育てをしていく中で、疲労や様々な思いが積み重なっていったのでしょう。
売れっ子俳優となり、順調にキャリアを重ねる赤塚さんだったが、忙しさにかまけ、次第に家庭を顧みないようになり、ふと気付けば、妻は赤塚さんの下から去っていってしまった。
https://www.araiyukihiro.com/dokkoi_column/column_016.html
その後、正式に離婚されたようです。
奥さんの居場所がわかったのか、どのように離婚の話し合いがされたかどうかについては公表されていません。
その後、赤塚真人さんは俳優の仕事を調整しながら子供たちを育てたそうです。
赤塚真人さんは明るい性格から妻が帰ってこないと笑いのネタにしていたそうですが、シングルファザーとして二人の子供を育て上げるというのは並大抵のことではありません。
幼い子供2人抱えてながらも仕事をし、シングルファザーとして2人の子供を育てた姿には、本当に頭が下がります。
赤塚真人の子供は2人!介護士として勤務!
赤塚真人さんは、妻との離婚後、シングルファザーとして二人の子供を育てることになりました。
俳優という仕事は時間が不規則で、子供たちと過ごす時間を確保するのはとても難しい状況です。
そのため、赤塚さんは一度、俳優を辞める決断をしたことがあったのです。
料理が得意で調理師免許も持っていた彼は、ラーメン店を開くことを考えました。
しかし、その時に長女が「テレビに出ているお父さんを見るのが楽しみだから辞めないで」と泣きながら訴えたのです。
この一言がきっかけで、赤塚さんは芸能活動を続ける決意をしました。
東京・代官山から、母親が住む茨城県筑波郡伊奈町に移住し、仕事をセーブしながら子育て中心の生活を送りました。
俳優として忙しい傍ら、食事を作ったり、学校行事に参加したりして、シングルファザーとしての役割を全うしたのです。
お子さんたち嬉しいよね
しかし、下の弟さんは一時期暴走族に入っていたようです
子供が暴走族に入る
俳優の職業をセーブしながら子供中心の生活にかえていたそうですが、下の息子さんは一時期、暴走族に入っていたそうです。
小学校5年生の頃からグレはじめ、万引きでや暴力事件を起こして高校は中退。
「小学5年ごろ、万引で捕まり、校長室に呼ばれたのが最初。中学へ行ったらますますおかしくなり、高校は暴力事件を起こしてやめました。それからは働いてはやめるの繰り返しで、暴走族にも入ってたらしく、新車を盗んで壊し、それをボクが弁償する。そんなことが何度あったか」
(日刊ゲンダイ2012年3月19日掲載)
その後も働いては辞めるを繰り返したり、新車を盗んでは壊すということもあったそうです。
赤塚さんはその度に弁償するなど、かなり大変な思いをしました。
そんな息子さんと険悪になり、衝突が絶えない日々が続きました。
ロケ中に警察から呼び出されることも頻繁にあったといいます。
息子さんと赤塚さんは衝突し、2カ月以上戻らないこともあったそうです。
「ロケ中に“○○警察ですが、息子さんの身柄を引き取りにきてください”って、しょっちゅう呼び出されましたし」
(日刊ゲンダイ2012年3月19日掲載)
シングルファザーで一生懸命育ててきただけに息子さんがグレてしまって赤塚さんも辛かったと思います。
同時にお子さんも母親がいなくなってしまい心に色々と抱えていたのでしょうか…
その後どうなったの?
息子は現在介護士として働いている!
赤塚真人さんの息子さんは、20歳の時にバイク事故で脳挫傷を負い、生死の境をさまよいました。
その際、オートバイのチェーンに巻き込まれて指を二本失うという大変な出来事がありました。
赤塚さんは、「自分の指を切り取って息子につけてくれ」と医師に頼んだそうです。
父親としての深い愛情が伝わってきますね。
赤塚さんは毎日病院に通い、息子さんを看病しました。
その中で息子さんの心に徐々に変化が現れ、謝罪の言葉を口にしたといいます。
退院後、息子さんは赤塚さんに「介護士の資格を取った」とメールを送ったそうです。
「退院してしばらくしたら、“介護士の資格を取った”ってメールが来ましてね。今はつくばみらい市でボクと一緒に暮らし、介護士2級の資格を取って、脳出血で体が不自由になり特養ホームにいるボクの母親、息子にとってのオバアチャンの世話をしてます。親が見捨てたら子供は終わり。諦めなくて本当によかったと思ってます」
一方、娘は「香港でやりたいことをやってる」そうだ。
(日刊ゲンダイ2012年3月19日掲載)
現在は介護士として働いています。
赤塚さんは、「親が見捨てたら子供は終わり。諦めなくて本当に良かった」と語っています。
この言葉には、息子さんへの深い愛情と信念が込められています。
なかなかできることではありませんよね。
だからこそ、息子さんに赤塚さんの愛情が伝わり、介護士として立派に働かれているのでしょう。
娘は香港へ!
一方、娘さんは現在香港で自分のやりたいことを追求しているそうです。
親としての愛情がしっかりと子供たちに伝わり、それぞれが自分の道を歩んでいるようです。
赤塚真人さんにとって何よりの喜びでしょう。
息子さんも、娘さんも赤塚真人さんにもっと長く生きていてほしかったと思います。
まとめ
いかがでしたか?
今回のおさらい
6歳年下の妻とは離婚
赤塚真人はシングルファザーで2人の子どもを育てていた
息子は昔は暴走族に入っていたが、現在は介護士として勤務
娘さんも自分の進みたい道へと歩んでいる
赤塚真人さんは、これまでに様々な作品に出演されていました。
私生活では妻と離婚し、シングルファザーとして二人の子供を育てていたなんて知りませんでした。
俳優の仕事は時間が不規則で、家庭と仕事の両立は大変だったと思います。
下の息子さんは一時期暴走族に入られましたが赤塚さんは息子さんを見放さず、愛情を持って接し続けました。
その結果、息子さんは介護士の資格を取得し、現在は赤塚さんと共に暮らしながら介護士として働いています。
どんな時でも見放さず親として子供たちに接してきた素敵なお父さんだったんですね。
ご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。