こっちのけんとさんの楽曲「はいよろこんで」は社会現象を巻き起こす大ヒット作となりました。
パワフルさと繊細さが融合した楽曲が印象的で、多くの人が自然と共感できる世界観も魅力ですね。
大ブレイクし駆け抜けた2024年の裏には、様々な苦悩に苦しみと闘ってきた経緯もありました。
こっちのけんと双極性障害はいつから?
こっちのけんとさん双極性障害と闘っています。
双極性障害はいつから発症したのか調査していきます。
双極性障害はどんな病気?
まず双極性障害とはどんな病気なのか簡単に説明します。
-中略-
双極性障害(そうきょくせいしょうがい)は、通常の気分をはさんで躁病(そうびょう)と抑うつの病相(エピソード)を呈する精神疾患である
引用:ウィキペディア
双極性障害は躁状態(気分が高揚する)とうつ状態(気分が落ち込む)を繰り返す精神疾患です。
もちろん日々の生活の中で気分の上げ下げはありますが、双極性障害は自分で感情をコントロールするのが難しい病気ですね。
双極性障害になるのはおよそ100人に1人で、誰でも発症する可能性があります。
個人差はありますが躁状態になると異常なハイテンションになり、自分じゃないと思うくらい行動が活発になるケースも多いです。
まず自分が双極性障害という事実を受け止めることと、症状を把握し上手に付き合っていけるかが重要ですね。
こっちのけんと双極性障害はいつから?
こっちのけんとさんが最初に精神的に不調を感じたのは、大学卒業後に社会人になった頃です。
23歳の頃に精神面で異常を感じ、病院に行ったところうつ病と診断されました。
うつ病と診断されてから治療を続けていましたが、症状は悪化し仕事を休み療養することになります。
療養中に音楽活動をスタートしましたが、徐々に躁状態と鬱状態を繰り返す症状が現れました。
こっちのけんとさんの症状の変化に気づいた医師が診察し、2022年頃に双極性障害と診断されました。
2023年9月には自身が双極性障害を患っていることを公表し、同じ病気で苦しむ人は勇気づけられたのは間違いありません。
こっちのけんとさんは「同じように苦しむ人たちに希望を届けたい」との思いで、双極性障害であることを公表したとも話しています。
精神疾患に限らず病気を公表することを躊躇する人も多い中、こっちのけんとさんは病気を公表した勇気も素晴らしいと思います。
うつ病と診断されてきた中で双極性障害であることを受け止め、今までの治療に対する意識を変えることになります。
こっちのけんとさんは病気と向き合い、日々の活動をこなしている努力は想像を絶すると思いますね。
こっちのけんとが勤めていた会社はどこ?
こっちのけんとさんは以前は会社員として働いていました。
そこで勤めていた会社はどこなのか調査していきます。
コンサル会社に勤務していた!
こっちのけんとさんが勤めていた会社は非公表ですが、コンサル会社に勤めていたと話しています。
判明していることは勤めていた会社は上場している会社ということと、寝る時間を削り日々奮闘していました。
社内でMVPになるなど成績優秀でしたが、大変な日々で次第に疲弊していきます。
大学時代にアカペラサークルで音楽活動を始め、全国大会で優勝するなど音楽の才能を開花させます。
音楽活動をしていたこっちのけんとさんでしたが、兄の菅田将暉さんが歌手デビューしたことから音楽活動を断念します。
その後コンサル会社に勤務していていましたが、夜中まで仕事することも多く会社に泊まることも多くなっていきます。
そして久々に仕事が終わり家に帰ると、玄関で動けなくなり体が悲鳴をあげました。
家族のことも考え上場企業に就職しましたが、こっちのけんとさんは自分の気持ちを抑えて働いていた日々でしたね。
会社員時代の苦悩
こっちのけんとさんの家族は、父親が自営業で弟2人は俳優という家庭環境です。
家族のことを考え「僕が普通の就職をして長年勤めればバランスが取れる」と考え、コンサル会社に勤めています。
またコンサル会社という職業上、家族であっても話せない情報もあり、兄弟の俳優という仕事とのギャップに悩んだとも話しています。
家では兄弟が俳優として活躍し作品を残すと、家族が作品を見て褒めてくれていました。
こっちのけんとさんは身を削って仕事を頑張っても、家族から評価されていないと感じ思い悩む日々でした。
こっちのけんと現在の状況は?
こっちのけんとさんにとって2024年は大ブレイクの年でしたが、身を削って駆け抜けてきたのも間違いありません。
こっちのけんとさんの現状を調査しました。
当面の休養を発表
こっちのけんとさんは2025年1月1日に、自信の公式SNS上で当分の間は休養することを発表しました。
同じ思いを持つ人、同じ病を持つ人、
可能な限り背負わせていただき、
人生をかけて1年間歌わせていただきました。本当にありがとうございました。
若干躁期でした。
今後は跳ね返りと戦うために当分休みます。
どれだけ人生が変わっても「死にたいな」と考えてしまうので、やっぱり病気なんだなと思います。
僕が頑張れた理由を考えると僕を支えてくださった皆様のおかげだったなと確信しております。
本当にありがとうございました。
僕にしてくださったように世界中で悩んでいる人たちに、その優しさを向けていただければ幸いです。
悩みは解決するのが1番ですが、
持ち続ける事で人生を彩ることも出来ます。それが証明できた事だけでも僕の人生は最高です。
お力添えいただきありがとうございました。また頑張れそうな時が来るまで鬱期を楽しんでまいります。
死なないように生きておきます。
いってきます!
引用:こっちのけんと公式Xより
こっちのけんとさんは2024年を「若干の躁期」と話していて、躁状態で2024年を駆け抜けています。
自信の楽曲も大ブレイクし2025年の活躍も楽しみでしたが、これから来る鬱期と戦うための休養とも話しています。
大ブレイクし「悩みはないのでは?」と思いがちですが、活躍の裏で苦悩の日々を乗り越えて来たと思うと複雑な気持ちになります。
自分の現在の状況をしっかりと分析し、無理をしない生活を心がけていると話していましたね。
何より音楽活動をして得られる達成感が、こっちのけんとさんが病気と向き合える大きな原動力なのは間違いありませんね。
双極性障害を前向きに捉える姿勢
双極性障害を前向きに捉えると言葉で言っても、実際に前向きに捉えられる人は圧倒的に少ないと思います。
しかしこっちのけんとさんは双極性障害を前向きに捉え、自身の病気を「ラッキー」と言える前向きさが印象的です。
こっちのけんとさんは双極性障害になったことで、より人生が楽しくなり楽曲として表現できると前向きに捉えています。
音楽活動を通じて大ブレイクしたことで、多くの人から共感と苦しみの声を聞き勇気が湧いたとも話しています。
やはり今でも「精神科には行きづらい」と考える人もいて、精神疾患を隠してしまう人も少なくありません。
また精神疾患は理解されないことも多く、見た目は元気なので「サボってるんじゃないか?」と思う人もいます。
双極性障害をじぶんじしんはが冷静に分析して、より自分の症状と向き合いコントロールすることが本当に大切ですね。
まとめ
いかがでしたか?
今回はこっちのけんと双極性障害はいつからで原因は?勤めていた会社についても!について紹介しました。
一見こっちのけんとさんは華やかに見えますが、双極性障害と闘い苦しみながら走り抜けてきましたね。
命をかけて2024年を全力で駆け抜けてくれたことに感謝しかなく、しばらくゆっくり休養してほしいと思うばかりです。
また体調が回復したときには、焦らずマイペースで音楽活動を再会してほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。