童謡「黒ネコのタンゴ」で日本中にその名を轟かせた皆川おさむさんが、
慢性腎不全のため62歳で逝去されました。
2025年7月23日、子どもの頃から天才子役として活躍し、6歳でリリースした「黒ネコのタンゴ」は空前の大ヒット。
あどけない表情と澄んだ歌声で一世を風靡しました。
しかし、その輝かしいキャリアの裏側には、逮捕という転落や病気などの苦難もありました。
そこで今回は、
皆川おさむの若い頃の画像!黒ネコのタンゴで大ヒット!
皆川おさむさん亡くなったのかー。黒猫のタンゴも大ヒット曲ながら、これ持ってた人はわかるB面のニッキ・ニャッキね。これもスピード感があって幼心にテンションあがる曲だった。 pic.twitter.com/tGAim9aT8z
— ゚飛出しちゃん (@luminariekobe) July 24, 2025
皆川おさむさんは1963年1月22日、東京都生まれ
どんな活動をしてたの?
伯母の皆川和子さんが創設した「ひばり児童合唱団」に3歳から在籍し、CMソングや映画の主題歌も手掛けるなど、子供の頃から天才子役・童謡歌手として活動していました。
世界6カ国語で歌われ、日本はもちろん海外でも人気に。
Buongiorno〜🤱💞エドちゃん😢💦🙏「黒ネコのタンゴ」で大ヒットした皆川おさむさんが亡くなったって…😢💦💦まだ62歳だったのに……謹んでお悔やみ申し上げます😢💦🙏当時の歌唱シーンをごらん下さい😢💦💦🙏 pic.twitter.com/F5fQQn5NNc
— みんなの恋人エドちゃん💋 (@ioecatterina) July 24, 2025

黒ネコのタンゴをうたったとき、皆川さん何歳だったの?

当時6歳10ヶ月でしたぞ
皆川おさむさんは、一躍時の人となり、日本の“子供歌手ブーム”の火付け役となりました。
また、3歳「ヤンボーマーボー天気予報」のCMソングを歌っていたことでもよく知られています。

懐かしい~
声変わりを機にドラマーの道へ
子どものころは「天才子役」と呼ばれ、スポットライトを浴びていた皆川おさむさんですが、成長とともに“声変わり”という避けられない壁に直面します。
これまでのように澄んだ高い声が出せなくなり、童謡歌手として活動を続けることが難しくなっていったのです。
洗足学園音楽大学へ進学し、今度は打楽器奏者としての道を歩み始めます。
学生時代には、打楽器の名手・岡田知之さんのもとで本格的にクラシックや現代音楽を学びました。
ところが、大学生の時に逮捕されてしまいます。

何があったの…?
皆川おさむの逮捕と前科の真相まとめ!
実は、皆川おさむさんは大学1年生、
何をしたの?
事件は1984年4月、当時21歳だった皆川さんは当時22歳の会社員男性とと共謀して自動車部品店に侵入し、部品やタイヤなど約118万円相当を盗み出したとして逮捕
皆川おさむは前科5犯だった
さらに同様の手口で複数回の犯行を行っていたことが判明し、前科5件、執行猶予付き有罪判決を受けました。
当時は「自分のカー用品店を持ちたくて…」という動機だったとも報じられています。

つまり、逮捕された事件を含めると前科6件ってことか…

子役として一世を風靡した“反動”や、セカンドキャリアへの焦りが影響していたとの噂もあったのじゃ
だんご3兄弟で復活
その後、
この楽曲はオリコンでも最高40位を記録し、「黒ネコのタンゴ」は1970年以来1500週ぶりの再チャートインとなるなど話題となりました。
「だんご3兄弟」のオリジナルは、NHK「おかあさんといっしょ」で1999年1月に放送開始された楽曲で、速水けんたろうお兄さん、茂森あゆみお姉さん、そして着ぐるみのだんご3兄弟が歌ったものです。
2008年にはアニメ「ケロロ軍曹」のエンディングテーマ「ケロ猫のタンゴ」もリリース。昭和の童謡スターが、平成・令和にも再評価されるきっかけとなりました。
【2025年】皆川おさむの現在!結婚や病気の真相まとめ
こちらが皆川おさむさんの画像です▼


その後、皆川さんはどんなお仕事されてたの?
「ひばり児童合唱団」の創始者で、叔母の皆川和子さんは2014年8月16日に92歳で亡くなりましたが、2004年には「ひばり児童合唱団」代表に就任しています。


皆川さんはご結婚されてたのかな?
皆川おさむの結婚相手は誰?

皆川おさむさんは、
これまでに結婚経験もなく生涯独身だったようです。
私は心配になって、「結婚はしているの?」と聞くと、「ずっと独身です。子供? いません」という。
皆川おさむの病気や闘病について
皆川おさむさんは、慢性腎不全のため2025年7月23日に62歳で亡くなりました。
ここ数年は、体調不良や複数の持病と闘っていたそうです。
過去のインタビューでは、糖尿病が悪化して腎臓の機能が低下し、人工透析を受けていたことをご本人が語っていました。
また、2012年ごろには腎臓の状態がさらに悪化し、ご家族(お姉さん)から腎臓の提供を受けて移植手術を行ったことも明かされています。
さらに、首の持病や、加齢による身体の不調にも悩まされていたと語っており、50代以降は「満身創痍」と表現されるほど健康面での苦労が絶えなかったようです。
「50を過ぎてから体調が悪いんだよ。糖尿病で腎臓を悪化させて、人工透析を受けていたんだ」
そして、ポツリと衝撃的な告白をした。
「2年前に姉から片側の腎臓をもらい、移植したんだ。その上、首の調子もあまりよくない」
それでも晩年まで、ひばり児童合唱団の代表として活動し、テレビやイベントなどにもたびたび出演。ご本人も「無理をしない程度に音楽と関わり続けたい」と、前向きな姿勢を見せていました。
まとめ
1969年、わずか6歳で「黒ネコのタンゴ」をリリースし、空前の大ヒットを記録した皆川おさむさん。
その圧倒的な人気で日本中を魅了し、子供歌手ブームの火付け役となりました。
その後も子役歌手として活躍を続けましたが、声変わりをきっかけに歌手活動を離れ、音楽の道を諦めず洗足学園音楽大学へ進学。
新たな夢を抱き、打楽器を専攻しドラマーとしての道を模索しました。
一方で、1984年、21歳のときに窃盗事件を起こし逮捕、有罪判決を受けるなど波乱も経験。
しかし、その後は犯罪から離れ、心を入れ替えて音楽や教育の世界に貢献し続けました。
現在は、伯母である皆川和子さんの後を継ぎ「ひばり児童合唱団」の代表として、後進の指導と合唱団の運営に力を注いできました。
また、糖尿病をはじめとする病気とも闘いながらも、最後まで音楽への情熱と責任感を持ち続けていた皆川おさむさん。
皆川おさむさんが歩まれた波乱万丈の人生と、たくさんの人に与えてくださった夢と感動、心から感謝するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

