【何者】サニバニの生い立ちやwiki経歴プロフ!ハーフで4か国語が話せる天才?

【何者】サニバニの生い立ちやwiki経歴プロフ!ハーフで4か国語が話せる天才?

強烈なファッションとメイクで注目を集めるインフルエンサーのサニバニさん。

サニバニさんの宇宙人メイクはコスプレの域を超え、一度見たら絶対に忘れないほどインパクトがあります。

独自の世界観は唯一無二の存在ですし、今後は世界進出する可能性も大いに秘めていますね。

今回は【何者】サニバニの生い立ちやwiki経歴プロフ!ハーフで4か国語が話せる天才?について紹介していきます。

目次

サニバニの生い立ち・経歴

サニバニさんの生い立ちと経歴を時系列順に紹介していきます。

幼少期

埼玉県で生まれたサニバニさんですが、父親の仕事の関係で地方に移住し一般的な生活をしていました。

幼少期から目立ちたがりで派手なものが好きだったそうで、外では雪だるまを作って遊んだりと普通の女の子でした。

自分を偽らないこと」を一番大切にしてると話すサニバニさんは、すでに幼少期から芯を持っていたと感じます。

埼玉県から地方に移住した記憶はあまりないようですが、移住先は雪の多い場所だったのかもしれませんね。

小学校3年から中学3年までパキスタン在住

サリバリさんは小学校3年生のときに、たった1人でパキスタンに移住しています。

パキスタンに移住した大きな理由として、父親がパキスタン人で宗教的なことを学んでほしいとの思いからのようです。

日本以外で暮らした経験はありませんでしたが、「面白そう」という気持ちもあり大勢の親戚と仲良く暮らしていました。

パキスタンでの生活は楽しい反面、宗教上の理由からスカートが履けないなど制約も多く苦労しています。

中学3年のとき日本に帰国

サニバニさんは中学3年になるまで、長期休暇のときは日本で生活するという日々を過ごしていました。

異国の地で小学校3年の頃からパキスタンで生活する姿を自分に重ねてみても、どれだけ大変だったか想像もできません。

しかし「いつまでパキスタンにいるんだろう」という疑問を持ち、中学3年の夏休みに日本からパキスタンに戻る途中で号泣してしまいます。

サニバニさんが号泣する姿を見た父親は気持ちを理解し、パキスタン行きをキャンセルし日本に帰国することになります。

高校時代

中学3年のときに日本に帰国したサニバニさんは、地元の中学校に転入しています。

おばあちゃんが東京に住んでいたこともあり、母親と一緒に上京し文化学園大学杉並高校に進学します。

サニバニさんは制服が可愛いこととファッションに興味があったことから、文化学園大学杉並高校を選んでいますね。

東京生活は刺激的で楽しい日々だったようで、とても充実した高校生活を過ごしています。

大学時代

文化学園大学に進学したサニバニさんですが、本当は青山学院大学に進学することを希望していました。

青山学院大学を受験するも不合格となったため、文化学園大学に進学しますが大学2年生のときに中退しています。

高校卒業後からキャバクラで働いていたサニバニさんは、学生生活よりもお金を稼ぐ楽しさに気持ちが傾き大学を中退したそうです。

お金を稼ぐ楽しさ」が勝ったサニバニさんの気持ちは理解できますし、当時から自分がやりたいことに突き進む感じですね。

サニバニのwikiプロフ!

  • 名前:サニバニ
  • 本名:紗菜(さな)
  • 血液型:不明
  • 出身地:埼玉県
  • 身長:164cm
  • スリーサイズ:91/62/94
  • 靴のサイズ:24cm
  • 職業:ファッションモデル・インフルエンサー・キャバ嬢
  • スキル:爆発的なコミュ力・メイク・スタイリング・ファッションスキル

サニバニさんはモデルやインフルエンサーとして活動し、着実に認知度も上昇中ですね。

顔や身体全体をペイントした姿が話題で、海外のファッションショーにも出演しています。

サニバニさんといえば露出度の高いファッションが魅力な一方、駅構内やイベントに突然現れて炎上することも多くあります。

炎上してもサニバニさんはくじけることなく、圧倒的な世界観と独特な感性で世界的にも高く評価されています。

ただ、今回サニバニさんの炎上がこれまで以上にかなり大きくなって謝罪する事態となりました。

何が起きたのかはこちらの記事をごらん下さい▼

サニバニさんメイクが凄く個性的だけどすっぴんが見たい!

すっぴんが美人だと話題になってたよ

サニバニさんはすっぴんが美人だと言われています▼

サニバニはハーフで4ヶ国語が話せる天才?

サニバニさんは4ヶ国語を話すことができます。

日本語

英語

ウルドゥー語

ヒンドゥー語

サニバニさんの両親は、父親はパキスタン人で母親は日本人の間に生まれたハーフです。

パキスタンに6年住んでいたときに、ヒンドゥー語とウルドゥー語を習得しています。

英語についてはサニバニさんは独学で習得していますが、独学で英語を話せるのは努力の結晶ですね。

習得した英語を生かして、海外のファンとも交流を深め知名度を広げています。

4ヶ国語を話せるのは国際的に活躍するための大きな武器で、さらなる海外での活躍も期待されます。

サニバニの夢は海外セレブでファッショニスタ!

https://x.com/sunnybunnychan/status/1852312703706288521?t=LI8hgV6LzrAC2RPii9iI-w&s=19

サニバニさんの将来の夢は、海外セレブでファッショニスタとして活躍することです。

ファッショニスタ(fashionista)

最先端のファッションを追い求める人。おしゃれに敏感な人。また、ファッション業界人。

引用:コトバンク

大きな夢を叶えるために、インフルエンサーやファッションモデルとして活動しています。

ここではサニバニさんが夢を抱くようになった理由について推察していきます。

家族(宗教)の求める格好に抵抗があった

幼少期からイスラム教の教えの中で育ちましたが、イスラム教は女性の肌の露出は厳しく制限されています。

スカートを履くことも禁止されているので、サニバニさんはファッションを我慢する日々でした。

幼少期から好きな服を着れなかったことで、自分の好きなファッションを貫く気持ちが芽生えていますね。

パキスタンの禁欲生活に馴染めなかった

サニバニさんは6年間のパキスタン生活の中で、「露出禁止・豚肉禁止・お酒禁止」など制約の多い生活でした。

パキスタンでイスラム教の教えを学び帰国後に、東京の竹下通りを歩く人々を見てサニバニさんは我慢してきた何かが弾けます。

イスラム教の教えを否定するわけではないものの、「自分らしい生き方をしたい」と決意し夢を抱く第一歩を歩み始めます。

父親を見返したい気持ち

イスラム今日は自分の根本的な部分を変えることは禁止されているので、現在のサニバニさんとは真逆という感じですね。

自分の髪型や容姿なども変えることができないため、サニバニさんは苦労してきたことも多々あるのは間違いありません。

決して父親が信仰するイスラム教を否定することなく、あくまでサニバニさん自身を表現するため大きな夢を抱いたと思いますね。

まとめ

いかがでしたか?

今回は【何者】サニバニの生い立ちやwiki経歴プロフ!ハーフで4か国語が話せる天才?について紹介しました。

奇抜と言われることもあるサニバニさんのファッションも、自分の信念を貫いて他人に流されないところも魅力です。

批判も恐れず突き進むサニバニさんに賛否両論ありますが、これからも夢に向かって頑張ってほしいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

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